明治 6(1873)年
旧所在地 名古屋市中区二の丸
博物館明治村4丁目36番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
幕末、維新の動乱時、度重なる列強国の軍事的示威行動をまのあたりにして、幕府、雄藩は軍事力の近代化の必要性を痛感した。薩摩、長州がイギリスに教えを受けたのに対し、幕府はフランス方式を取り入れ、これが明治政府にも引き継がれて、日本陸軍の基礎が形成されていく。明治4年(1871)東北から九州まで四分割された各区域にそれぞれに鎮台が置かれ、同6年(1873)には広島、名古屋にも鎮台が設けられた。各鎮台のもとには歩兵聯隊が置かれるが、名古屋鎮台の管内では名古屋と金沢に組織され、名古屋に置かれたものが歩兵第六聯隊である。
単純な四角形の上ゲ下ゲ窓が並び、素朴な印象を与えるが、構造は大変頑丈で、外側の柱は全て土台から軒に達する太い通し柱になっており、壁下地になる木摺を斜めに打ち、瓦を張って、白漆喰で仕上げている。このため、地震にも火災にも強く、断熱性も高い。
木製のベッドが並ぶ内務班。全ての家具が耐久性に重点を置いて作られている。他に中隊長室、下士官室等が当時の姿に復原されている。