昭和 2(1927)年
旧所在地 東京都中央区日本橋
博物館明治村5丁目57番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築である。構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルの建築であった。関東大震災以前の大正10年に起工され、6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、帰国後多くの銀行建築を設計したが、この建物はその代表作といえる。
川崎銀行は、江戸時代、水戸藩の勘定方をつとめた川崎八右衛門翁が明治13年に設立した銀行で、明治中頃には有力銀行の一つに数えられた。その後昭和2年川崎第百銀行、昭和11年第百銀行と改称ののち昭和18年三菱銀行と合併した。
一方、川崎財閥の信託部門として設立された川崎信託株式会社が昭和11年からこの建物を共同使用していたが、同社はその後日本信託銀行と改称、昭和28年から同建物を全館使用するところとなった。
一方、川崎財閥の信託部門として設立された川崎信託株式会社が昭和11年からこの建物を共同使用していたが、同社はその後日本信託銀行と改称、昭和28年から同建物を全館使用するところとなった。
川崎銀行本店の旧全景
東京の中心地、日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきたこの建物は、昭和61年ビル立て替えのため惜しくも取り壊され、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築された。日本橋に建て替えられた新ビルは、旧建物の中央玄関部分や柱のキャピタル部分などを保存再利用し、旧建物の面影を活かしたポストモダーンのデザインとなっている。 あわせて参考にすべきであろう。