明治元(1868)年
旧所在地 東京都墨田区東向島
博物館明治村3丁目26番地
※2016.04.30未確認(ToT)
★以下は、画像整理用覚書
明治10年代(1877~1886)、下火となっていた戯作文学が、自由民権論、国権論、アジア主義等の隆盛に呼応した政治小説の形で復活してくるが、これとは別に人間の内面を描き出そうとする動きも出てきた。明治18年(1885)坪内逍遥は「小説神髄」を刊行して小説の新しい方向を提唱、これに応じる形で二葉亭四迷の「浮雲」が生まれたが、逍遥の内面尊重の主張はさらに幸田露伴へと受け継がれ、東洋的な観念を主題とする作品に結実してゆく。
露伴は幼少の頃算術を得意とし、長じて電信を学び、電信技手を勤めるが、傍ら漢籍や仏書を読破し、「小説神髄」に触発されて明治20年(1887)21才の時、官を辞した。その翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまると、文筆の世界に足を踏み入れ、「風流仏」「対髑髏」「五重塔」等次々に発表、紅葉とともに紅露時代として一世を風靡した。