明治21(1888)年
旧所在地 東京都千代田区千代田
博物館明治村1丁目4番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
慶応3年(1867)の大政奉還ののち、徳川幕府の居城であった江戸城は天皇の城となり、明治2年(1869)旧西丸殿舎を宮殿としたが、同6年に炎上、このため新宮殿建設の計画が立てられた。西南戦争等で遅れ、皇居内の建物が一応の整備をみたのは明治21年(1888)のことである。この建物は宮城警護のために設置された皇宮警察の庁舎の一部で、明治20年(1887)坂下門内に着工されたが、建設中に用途を近衛局(1889年、近衛師団と改称)本部に変更して翌年に完成した。その後、師団本部は移転したため、皇宮警察本部がここへ移り、昭和42年(1967)まで坂下護衛所として使用した。
木造平家建瓦葺で内外壁を白漆喰で塗りあげたこの別館は、正面に軽快なアーケードを配した開放的な建物になっており、アーチを縁どる細い水切も軽やかな印象を与えている。古図によれば、創建当初は八つのアーチの柱間に高さ90cm程の鋳鉄製の手摺があり、なお華やかなものであった。しかし、解体時には失われており、このため復原されていないが、基壇等一の所々に開けられた床下換気口の格子金具に当時のデザインの一端をしのぶことができる。
尚、明治村への移築・復原に際して、室内の間仕切壁を取り払った。
尚、明治村への移築・復原に際して、室内の間仕切壁を取り払った。