明治40(1907)年
旧所在地 福島県会津若松市大町
博物館明治村2丁目20番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
明治5年(1872)国立銀行条例が発布され、翌年東京の兜町海運橋際に第一国立銀行が開業した。一方、明治9年日本橋駿河町にあった為替バンク三井組が三井銀行に改組され、私立銀行も創立をみた。この二つは銀行業の創始を物語るものであるとともに、明治初期の代表的擬洋風建築として親しまれてきたが、明治30年代に入って、相次いでその姿を消した。
明治12年(1879)国立銀行の設立認可が153行で打ち切られると、それ以降私立銀行の設立が急速な勢いで増えてくる。安田銀行も明治12年認可を受け、翌13年に開業している。最初は栃木、宇都宮の二店であったが、その後東北地方に展開し、明治23年には会津若松に若松支店が設けられた。当初は既存の土蔵造(どぞうづくり)の建物を借りて営業していたが、明治40年(1907)この建物が新店舗として落成した。
伝統的な土蔵造をもとにしているが、要所には洋風のデザインを施しており、玄関の石柱、正面と右側の面の石積の腰壁、窓の太い鉄格子、軒蛇腹等、いずれも新しい洋風の手法によるものである。
土蔵造は太い柱を厚い土壁で塗り込んでしまう日本古来の工法で、火災に強いという特長を持つ。防災上大変有効なこの工法に、洋風のデザインがうまくかみ合い優れた明治建築を生み出した良い例である。又、側面のなまこ壁もこの建築に美しさを添えている。
室内は外の意匠以上に洋風の手法が取り入れられている。まず目につくのは高く吹き抜かれた営業室で、二階の窓から入る光が白い壁に反射して、室内が大変明るくなっている。二階ギャラリーを支える四本の柱は溝彫(みぞぼり)され、その脚部には西洋風の繰形が施されている。カウンターの腰板にも新時代の手法が用いられている。
「分銅に三」をデザインした
玄関天井飾り
玄関天井飾り
安田銀行会津支店の玄関の天井中心飾りや軒先の瓦には安田銀行創業以来の行章「分銅に三」が用いられている。
「分銅の三」の「三」は安田銀行創業者安田善次郎の祖先が平安時代の高名な学者「三善清行」にあたることから採ったもので、江戸時代からの両替商の印「分銅」に三善の「三」を組み合わせたものである。
「分銅の三」の「三」は安田銀行創業者安田善次郎の祖先が平安時代の高名な学者「三善清行」にあたることから採ったもので、江戸時代からの両替商の印「分銅」に三善の「三」を組み合わせたものである。