2016年5月3日火曜日

【明治村 03】三重県尋常師範学校・蔵持小学校-三重県名張市(2016.04.30) △外観のみ(遠景)

■三重県尋常師範学校・蔵持小学校
明治21(1888)年
旧所在地 三重県名張市蔵持
博物館明治村1丁目3番地
※2016.04.30撮影




















★以下は、画像整理用覚書


明治19年(1886)の師範学校令により、東京に高等師範学校が、又各県に一校ずつ尋常師範学校が設けられることになった。尋常師範学校は小学校教師の養成を目的としており、国民皆学の基礎となったものである。明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられたこの建物は、昭和3年(1928)、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていた。明治村で保存公開されている三重県庁舎と同じ清水義八の設計になり、三重県庁舎と同様、E字形左右対称二階建であったが、昭和48年(1973)明治村に移築保存するに際しては、特色ある中央玄関部分と右翼の二教室分のみを遺した。

県庁舎が清水義八による洋風建築初期の作品で、単純で古典的な印象を与えるのに対し、約10年のちのこの建物ではデザインが消化されて、中央の玄関部を除けば穏やかにまとめられている。玄関は四本の円柱を立ててアーケードとし、二階にベランダを設け、入母屋の屋根をいただく。アーチや入母屋の破風に草花をモチーフとした縁飾りをあしらい、懸魚にも洋風の雰囲気を遺している。二階ベランダの手摺、軒廻り、入母屋妻のデザインなどにも設計者の工夫が見られる。翼屋の教室部分の外壁は洋風の下見板張りになっており、白漆喰塗の玄関部とあざやかなコントラストをなしている。

車寄の柱は三重県庁舎と同じ古代ローマのトスカナ様に作られているが、柱の上ではなく柱の中途に持ち送りを出してアーチを支えている。このように柱間にアーチを組み込むのは中世以降の構成である。一方、通り抜けの入口は両側に太い石の柱を建て、その上に厚い石のアーチを架け渡している。