明治45(1912)年
旧所在地 愛知県岩倉市下本町
博物館明治村5丁目66番地
※2016.04.30撮影
★以下は、画像整理用覚書
明治20年(1887)に東京で日本最初の電気事業が開始された。当初は需要の多い地域毎に火力発電所を設置し、低圧直流の電気を発電供給する方法であったが、小規模の発電所が市内各所に点在し、その技術的な統一が困難になってきたため、高圧交流式の大火力発電所が建設されるようになった。これに伴い、それまでの小発電所は変電所に振り替えられていった。
電気事業の進展は電車という新しい交通機関を可能にした。京都市電に遅れること3年、名古屋電気鉄道により明治31年(1898)日本で2番目の市内電車が名古屋市内に走るが、同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912)には犬山線を開通させた。その時、この岩倉変電所が建てられた。
内部に高価で大きな変電用機械を入れるため、背の高いレンガ造建物になっており、屋根には天然スレートを葺いている。出入口や竪長の大きな窓は半円アーチとし、色の濃い焼過ぎレンガを上下四段の帯として入れている。建物四隅にバットレス(控壁)を付けているが、この建物のように小屋組がトラスの場合はバットレスを付けないのが通例である。
移築に当たり、構造躯体を鉄筋コンクリートに改め、外装にはレンガタイルを張った。
内部に高価で大きな変電用機械を入れるため、背の高いレンガ造建物になっており、屋根には天然スレートを葺いている。出入口や竪長の大きな窓は半円アーチとし、色の濃い焼過ぎレンガを上下四段の帯として入れている。建物四隅にバットレス(控壁)を付けているが、この建物のように小屋組がトラスの場合はバットレスを付けないのが通例である。
移築に当たり、構造躯体を鉄筋コンクリートに改め、外装にはレンガタイルを張った。
岩倉発電所の背面は、他の三面と趣きを異にし、レンガ積の様々な手法で装飾を施している。半円アーチ、円弧アーチ、柱型、凹みなど設計者の楽しみのあとがうかがわれる。
小屋組は木造キングポストトラスで、小屋裏あらわしになっている。しかし、建物活用の目的で、テント布を梁下に張っている。竪長の窓には上ゲ下ゲの建具が建て込まれ、上部に半円形の欄間がつけられている。